海峡と、坂と階段と石垣の町 下関2


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下関は石垣の街でした。傾斜地に、石垣を築いて平場をつくってその上に住まいを建てている。

上の写真は前回と同じ丸山町。道幅ほぼ1.2mほどでしょう。石垣の高さ1.5mのところあたりが左敷地の地面であり、右はたぶん50cmほど下がったところかと思われる。けっこうな高低差です。

かなり急な傾斜地だったと分かるのですが、細い路地が水平なのは、この道が等高線に沿ってつくられたことを示している。

下の写真ではその道が坂になっている。

ここの傾斜の具合も、やはり相当急なようで、30度を超す傾斜地だったのではないかと思います。 2枚とも竹崎町


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ところで、ふと考えました。
どうして平場をつくるのだろう。
よその国では、あまり見た記憶がないのですが。

たとえば山国スイスでは、山すその建物でもそのまますっと立ち上げています。
「アルプスの少女ハイジ」に出てきた家はたいていそうだったし、このところ世界的に人気の高いスイスの建築家ツムトーPeter Zumthorにしても(ズントーと読むのは間違いだそうです)、敷地をわざわざ平らにしたりはしていません。かならず斜面から、そのまままっすぐ上まで壁を立ち上げています。どうも敷地に対する考えが少し違っているようです。

イタリアあたりに見られる山岳都市で、もしもですが、平らな庭を造るとしたら、そのときはきっと「中庭」ということになるのでしょう。敷地を平場として造ってそれから建てるというのは、たぶん宮殿のような大がかりな建物だけではないでしょうか。

ふつうの建物に庭が必要なときには、建物自体で平場を囲って、それを中庭とするのでしょう。

ところで、このような違いはどこから起こるのでしょうか。そんなことが気になりだしました。
それはたぶん、日本の建物が木造であることと、湿気が高いことに理由があると思われます。まず地盤を平らにし、その上に湿気から逃れるための高床の建物を造るのでしょう。

もちろんその他にも理由はあるでしょう。自分の家の領域をできるだけはっきりさせたいという、社会的な関係のあり方が違うということも考えられます。

しかし、ここでのとりあえずの結論としては、石垣を築くのは、庭のための平場を確保するため、ということにしておきます。 「庭と建物はセットになっている」
つまり、日本人は庭なしでは生きていけない、そんな不思議な感性を持っているのかも知れません。


そうはいいながら、もしもここ下関ではどこでも見られる石垣を、そのまま上まで立ち上げて住まいをつくったとしたら、そんな想像をするとちょっと楽しくなります。

たぶん、大迫力の、石造りの町になることでしょう。そんな豪快さが少し感じられた、ちょっと気になる町歩きでした。 ■ 091127 GRD3  下関、もう少し続きます。



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          細い路地の階段道で見た、庭をとり囲む石垣と塀。 観音崎町 
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by bau-2 | 2009-11-27 09:46 | ・坂道 | Comments(0)
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