船と手押し車の街   ヴェネチア4


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自動車がない代わり、ヴェネチアには船がある。

ここでは衣料品も食料品も、そして野菜も飲み水も、4キロ離れた大陸から運ばれてくる。船で近くの岸まで運び、そこで手押し車に積み替える。そこからずんずん押して運んで行くのだが、たいそうな手間だと思う。


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運河にかかる橋の階段を、昇る時も下りる時も大きな荷物はなかなか大変だ。

大きな手押し車の運び手は、後から来た乳母車の母親に、追い越されてしまった。幼児を乗せていても、構わすガタン、ガタンと押して行く。子供もなかなか大変なのがヴェネチアなのです。


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そこからまたいくつかの橋を越え、長く曲がった道を手押し車は進んでいく。 ■ 09.04.10 GX100



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      おまけの一枚。もの売りの屋台、これも手押し車です。





ラグーナにできた街   ヴェネチア 3

どうしてこんな街ができたのだろうか。

潮が引いた時に現れる、砂と泥でできた場所を干潟という。
ヴェネチアはラグーナ、つまり干潟につくられた街なのだ。

海の上にわずかに姿を現す小さな陸地に、ある時人が住みついた。
5世紀頃のことだそうだ。大陸側で、北方の人達が襲ってきたからだ。
それから逃れて住みついた。
そしてたぶん、小さな陸地を少しずつ埋め立てた。

         ・・・

人が増えるにしたがい島は大きくなり、そして街がつくられ、広場ができた。
そして9世紀以降、大いに栄えた。

とはいえ、元はといえば湿地に出来た街だ。地盤は決してよくはない。だから街を歩いてみると、傾いた建物をあちこちで見かける。とくに、教会の鐘楼がよく傾いている。底面が小さいのに高さがあるから当然だ。

建物の足下には、たくさんの松杭が打ち込まれて並んでいるという。大きな建物になると、1万を越える数の杭で支えられているそうだ。

松杭というもの、ずっと水中にある限りはなかなか腐らない。その杭の列の上に石の基礎がつくられて、その上に何階分かのレンガの壁が立ち上げられ、そして床と屋根が架けられた。住居も寺院もそうやって建てられた。

だから、街全体を逆さにひっくり返すと、そこにから松の森林が表れるのだという。
 (参考:「思想のドラマトゥルギー」林達夫+久野収、「ヴェネツィア」陣内秀信)


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空港へ向かう夜明けの水上バスから、ちょうど埋め立ての最中らしい様子が見えた。たぶんムラーノ島の北側だったろう。これがラグーナだ。潮が引けば、堤の向こうに地面が表れるのだろう。街の成り立ちの最初の頃の頃の風景は、ひょっとするとこんな風だったのかも知れない、と想像した。

木の杭が並んでいるのは、航行可能なルートを示すためで、杭には何メートルと水深が示されているという。かつて、敵が迫ればこの杭を引き抜いた。攻めてくる敵船が浅瀬に乗り上げるのを見計らい、小舟を出して撃滅する、という作戦だった。中世の都市ならどこにもある城壁が、この街にはない。海が城壁だったからだ。 (参考:「緋色のヴェネツィア」塩野七生)

ラグーナの小さな島が埋め立てられる時、残された水面が運河になった。そこを橋でつないで大きな街ができた。ヴェネチアの街には、巾の狭い路地ばかりが迷路のように伸びているけれど、大きな通りは1本もない。その代わりとなるのが運河なのだ。だから路地を歩いていると、不意に運河に行き当たる。そうでなければ、あちこちでカンポと呼ばれる広場に出る。そしてカンポの正面にはたいてい教会が建っている。

            ・・・

小さな売店で売っている300円足らずの地図を買い求めた。安っぽいカバーを開くと、その色使いの繊細な図に驚いた。地区毎に色分けされてとてもきれいだったからだ。さすがイタリア、と大いに感心した。地図の中の白い部分が路地で、少し広いところがカンポ、もしくは中庭である。そしてサンマルコの広場だけがピアッツアと呼ばれている。

残念なことに、文字があまりに小さく、さっと見ただけでは読みとれない。写真は原寸の80%くらいのはずだが、めがねをかけてもなお読みづらい。これほどのきれいな地図、もう少しだけでいいから大きくして欲しかった。まあ、安かったから文句は言わないが。

なにしろごま粒の、その半分以下ほどの文字なのだ。やっぱりイタリアかと思ったが、しかし、それはむしろ路地と運河のそれぞれに、長い名前がついているせいでもある。カンポにも、教会にも名前が入っている。文字を大きくすると地図が文字だらけになってしまう。したがって細かくならざるを得ない。これは道路を基準とした街の宿命なのだ。

日本の場合だと、まず町名毎に区切られて、その中の○丁目○番地、という風に数字だけで表すことができるのだが。

その一方で、西欧の地図の裏面には、詳細なインデックスがついている。ここにすべての通りと、広場と教会の名が示されているから、ここを調べれば自分がどこにいるのかすぐに分かる、はずだ。それなのに、地図を片手に大きなスーツケースを押して、ホテルを探しあぐね、立ち往生している旅行者をよく見かける。やはり読みとりにくいのだ。その上ここは迷路の街なのだ。
ところがいくつかの、写真から読みとれる地名を調べようと試してみましたが、それが地名ではなかったのか、インデックスから探し出すことができませんでした。どうもよく分かりません。4/8


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街に道路を走るタクシーはない。車だけでなく、自転車さえ走っていない。だから荷物があると厄介だ。目の前に見える建物でさえ、運河で遮られ、どうしたらいいか途方に暮れることがある。これに、雨が加わるともう最悪だ。濡れながら、てくてく歩き回ることになる。そんな旅行客を何人も見た。運河の街を歩くのは、これでなかなか難しい。

おまけに運河に架かる橋は、その下を船が通るようになっているせいで、全部が大きなアーチで持ち上げられている。したがって、必ず階段を5,6段上がらなければならない。橋一つを渡るのに、昇って下りて二度苦労する。それを何度も繰り返す。大きな荷物があると、きっと泣きたくなるに違いない。

ちょっと気になる運河の街、そして迷路の街でありました。 ■ 09.04.07 GR2
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by bau-2 | 2009-04-07 09:36 | ・街路 | Comments(0)
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